パリオリンピックで個人・団体ともに金メダルを獲得したフェンシングの加納虹輝選手。
加納虹輝選手は子供の頃からフェンシングをしていたそうですが、出身はどこでしょうか?
そこで今回は
- 加納虹輝の出身地は愛知県?
- 加納虹輝の出身小学校は?
- 加納虹輝の出身中学校は?
- 加納虹輝の出身高校は?
- 加納虹輝の出身大学は?
- 加納虹輝のwiki風プロフ!
について調べてみました!
加納虹輝の出身地は愛知県?
加納虹輝選手の出身地は、愛知県あま市です。
加納虹輝選手の出身であるあま市は愛知県北西部にあり、尾張地方に含まれます。
工芸品の製造が盛んで、尾張七宝という伝統工芸品が有名。
ちなみに、加納虹輝選手の出身である愛知県あま市出身の有名人がこちらです。
・竹嶋宏心(ボクシング選手)
・細田絵理(バレーボール選手)
・武藤弘樹(アーチェリー選手) など
アスリートが多いんですね!
そんなあま市での思い出の場所を聞かれた加納虹輝選手は、
と答えていました。
また、加納虹輝選手が地元のテレビ番組に出演した際は
小さい頃に家の近くにリバーサイドガーデンという場所があった
そこでランニングをしていた
とコメント。
加納虹輝選手の回答から、出身地はリバーサイドガーデンという公園がある愛知県あま市金岩の周辺であることがわかりました。
【リバーサイドガーデン】
・住所 〒490-1221 愛知県あま市金岩
リバーサイドガーデンは小さい公園ですが、植物が多くて芸術品がたくさん置かれているステキな場所のようですね。
加納虹輝の出身小学校は?
加納虹輝選手の出身小学校は、愛知県あま市にある美和東小学校です。
【あま市立美和東小学校】
・住所 〒490-1203 愛知県あま市木折寺田1−3
加納虹輝選手が小学生のころは、水泳や器械体操をしていたそう。
特に力を入れていたのは習い事は器械体操で、3歳から始めて小学6年生まで続けました。
最初は遊び感覚だったそうですが、小学2年生になると本格的に力を入れ始めてオリンピックも目指していたそうですよ。
そのため、多い時で週6日も体操教室に通っていたようです。
加納虹輝選手が特に得意だったのは、あん馬と平行棒。
得意だった種目で培った技術は、フェンシングにも生かされたようです。
器械体操に没頭していた加納虹輝選手ですが、小学6年生の頃に転機が訪れます。
2008年に行われた北京オリンピックをテレビで見ていた加納虹輝選手。
当時フェンシングの選手だった太田雄貴さんが銀メダルを獲得する様子を目にしました。
当時加納虹輝選手は器械体操で足を痛めていたそうで、太田雄貴さんがメダルを獲得する様子を見て
かっこいい
自分もやってみたい
と思うようになります。
それから両親に「フェンシングをやりたい」と話すと、母親はすぐにフェンシングができる場所を調べたそう。
母親は当時のことを振り返って
(フェンシングをするか)決めるのは本人だけど、情報を渡すのは私たちの仕事だから早く見つけてあげたかった
と話していました。
両親のサポートもあり、加納虹輝選手は小学6年生でフェンシングを始めます。
かなり遠い場所にありましたが、両親は毎回必ず送迎をしていました。
両親のサポートがなければ、加納虹輝選手はフェンシングを続けることができなかったでしょうね。
加納虹輝の出身中学校は?
加納虹輝選手の出身中学校は、あま市美和中学校です。
【あま市立美和中学校】
・住所 〒490-1222 愛知県あま市木田丁子ノ口1
加納虹輝選手は小学6年生からフェンシングを始めますが、中学時代はほどんど試合に勝つことができませんでした。
そのため加納虹輝選手は部屋に5円玉を吊るし、5円玉の穴をひたすら剣で突くという練習を始めます。
地味な練習をひたすら続けていたため、時々練習がおろそかになることも。
そんな時は父親が「途中で投げ出すな」と加納虹輝選手を叱ったそうです。
父親からの言葉もあり、練習を続けた加納虹輝選手。
中学生生活最後には全国大会に出場していますが、残念ながらプレッシャーに負けて1回戦で敗退しています。
そして中学3年生の夏休みが終わったころ、加納虹輝選手は担任の先生に「山口県にある岩国工業高校にいきたい」と明かします。
中学3年生の時に担任をしていた藤沢太一さんは当時を振り返り
中学時代の加納虹輝選手は、真面目で大人しい子。
がんばっていたことは知っていたけど、まさかそこまで熱意があるなんて。
と驚きを隠せなかったそうです。
その後、担任の藤沢太一さんは「愛知県の子供が県外の公立高校に進学できるのか?」と思い調べたところ山口県は特例で受け入れを行っていることが判明。
両親と担任の先生は、加納虹輝選手の希望を受け入れて山口県へ送り出すことにしました。
両親だけでなく、先生もしっかり調べてサポートしてくれたんですね!
手形は東京オリンピックの団体金メダルを記念して作られたもの。
加納虹輝選手の手形は、後輩に勇気を与えているそうです。
加納虹輝の出身高校は?
加納虹輝選手の出身高校は、岩国工業高校です。
【岩国工業高校】
・住所 〒741-0061 山口県岩国市錦見2丁目4−85
岩国工業高校は名前の通り工業高校なので、機械科や電気科などがあります。
加納虹輝選手は2013年に岩国工業高校に進学し、フェンシング部に入部します。
県外から通うことは難しいため、高校進学を機に加納虹輝選手は親元を離れて1人で下宿しました。
当時フェンシング部の監督を務めていた冨田弘樹さんは、加納虹輝選手の第一印象について
技術は未熟だけど、体幹は良い
と感じたそうです。
また、加納虹輝選手は高校1年生の途中でフルーレからエペに転向しています。
Q.フルーレ、エペとは?
フルーレは、背中を含む胴体のみが攻撃可能。
そして“突き”のみが有効となる。
エペは、足の裏を含む全身が攻撃可能。
フルーレと同じく“突き”のみが有効となる。
フェンシングにはフルーレとエペ以外にも、サーブルが存在する。
サーブルは頭と腕を含む上半身のみが攻撃可能。
“突き”だけでなく“斬り”も有効となる。
元々太田雄貴さんに憧れてフルーレを始めた加納虹輝選手。
また、北京オリンピックでエペの選手として活躍した西田祥吾さんのプレーを見たことも影響した様子。
エペに転向するか悩んでいる時に出場した17歳以下の代表選考会。
加納虹輝選手がエペで出場すると、見事優勝!
この優勝が決め手となり、加納虹輝選手はエペに転向します。
その後、U-17ワールドカップに出場。
高校時代は全国大会だけでなく、世界大会にも出場する選手へと成長しました。
加納虹輝選手の高校時代の成績はこちら
年代 | 大会名・記録 |
---|---|
2013年(高校1年生) | 代表選考会(17歳以下)エペ 優勝 |
年代別日本代表選考会に選出 | |
2014年(高校2年生) | インターハイ 個人 2位 |
2015年(高校3年生) | インターハイ 個人 優勝 |
高校時代にエペに転向したことで更に成長できたんですね!
加納虹輝の出身大学は?
加納虹輝選手の出身大学は、早稲田大学スポーツ科学部です。
加納虹輝選手が通ったスポーツ科学部は、所沢にキャンパスがあります。
【早稲田大学 所沢キャンパス】
・住所 〒359-1192 埼玉県所沢市三ケ島2丁目579−15
加納虹輝選手が早稲田大学を選んだのは、高校で指導をしてくれた本間邦彦さんが早稲田大学出身だったからだそう。
2016年に早稲田大学に進学した加納虹輝選手は、1年生の頃にシニアの年齢無制限ワールドカップで銅メダルを獲得。
加納虹輝選手がシニアクラスの大会に出た時には「大柄な選手は的が大きいから突くスペースが広いな」と感じたそう。
加納虹輝選手の身長は173㎝と小柄な方です。
そのため、シニアクラスでは有利に戦うことができたのかもしれません。
シニアクラスだけでなく、ジュニアクラスでも優秀な成績をおさめていたんですね!
また、この頃から「自分もオリンピックに出ることができるのでは?」と思い始めたそうです。
大学1年生の頃から大活躍の加納虹輝選手ですが、その後の成績はどうでしょうか?
加納虹輝選手の大学時代の成績はこちら
年代 | 大会名・記録 |
---|---|
2016年 | ジュニア選手権 男子団体 6位 |
2017年 | 関東学生選手権 優勝 |
ユニバーシアード 4位 | |
W杯(フランス) 3位 | |
2018年 | 関東学生選手権 3位 |
アジア選手権 3位 | |
アジア大会 個人3位 団体優勝 | |
世界選手権 9位 | |
2019年 | W杯(ドイツ) 3位 |
W杯(アルゼンチン) 団体優勝 |
2018年の頃に加納虹輝選手が出場したアジア大会では、団体で優勝を経験しています。
アジア大会に出場した4名の内、大学生は加納虹輝選手のみ。
加納虹輝選手の活躍を見ると、年齢なんて関係ない!と感じますね。
加納虹輝のwiki風プロフ
加納虹輝選手のプロフィールをwiki風に紹介します。
【加納虹輝(かのう こうき)】
・生年月日:1997年12月19日
・出身地:愛知県あま市
・身長:173㎝
・所属:日本航空(JAL)
・休日の過ごし方:動画や映画を見ること
最初にお伝えしましたが、加納虹輝選手は愛知県あま市の出身です。
家族構成は両親と姉、弟の5人家族です。
父親と母親の職業は不明ですが、加納虹輝選手がやりたいということをすぐに実現していることから高収入な仕事をしている可能性がありそうです。
地元の小・中学校を卒業後は、山口県の岩国工業高校に進学。
その後、恩師が通った早稲田大学に進学しています。
早稲田大学を卒業後は、日本航空(JAL)に就職しました。
日本航空はフェンシング協会のスポンサーで、加納虹輝選手は学生時代に羽田空港で行われたフェンシングイベントに参加したことがあります。
イベントに参加したとき、アスリート社員という存在を知って日本航空に興味を持ったそうです。
入社後すぐ、コロナウイルスの影響で複数の大会が中止に。
選手らも集まって練習することができず、加納虹輝選手は自宅で自分なりに練習を続けました。
そして2021年には、東京オリンピックで山口優選手・宇山賢選手・見延和靖選手らと共に男子エペ団体で金メダルを獲得。
さらに、2023年9月にはアジア大会に出場して個人で金メダルを獲得。
同大会では、山田優選手・古俣聖選手・松本龍選手らと団体で出場して金メダルを獲得しています。
そして2024年7月に行われたパリオリンピック。
個人エペでは、日本人初の金メダルを獲得しました。
さらに、男子エペ団体では銀メダルを獲得。
加納虹輝選手は「これを機にフェンシングをメジャーにしていきたい」とコメントしています。
加納虹輝選手の活躍をきっかけに、フェンシングを始める人が増えると良いですね!