【ブレイキン】半井重幸の姉は誰?家族構成は?wiki風プロフ

パリオリンピックで初採用されるブレイキンに日本代表として出場予定の半井重幸選手。

半井重幸選手の姉もブレイキンをしているそうですが、一体どんな方なのでしょうか?

そこで今回は

・半井重幸の姉は誰?
・半井重幸の家族構成は?
・半井重幸のwiki風プロフ

について調べてみました!

半井重幸の姉は誰?

半井重幸選手の姉は半井彩弥さんという方で、AYANEという名前で活動をしています。

年齢は半井重幸選手の5つ上で、26歳(2024年7月時点)。

そして半井重幸選手の姉・AYANEさんもブレイキンをしています。

AYANEさんがブレイキンを始めたのは、10歳の頃。

6歳の頃からダンスをしており、ダンスについては「自己表現ができる手段」と考えているよう。

その後、弟である半井重幸選手とともに大阪難波の広場でブレイキンの練習を続けました。

そして、数々の大会に出場して素晴らしい成績をおさめています。

・2019年 世界ダンススポーツ6位入賞
・2020年 Red Bull BC One 優勝
・2023年 WDSF Breaking for Gold Word Series in 香港 3位
・2024年 全日本選手権 準優勝

ブレイキン界でも有名な選手であるAYANEさんですが、実は商社に勤める会社員。

AYANEさんが勤めているのは、インテリアや生活雑貨を扱うアントレックスという会社。

会社では、商品の企画やデザインなどを行っているそうですよ。

ちなみに、ブレイキンの練習は毎日2時間ほど行っているのだとか!

知ろう!スポーツ

会社員として働きながら毎日欠かさずに練習を行う姿は、尊敬してしまいますね

半井重幸選手とAYANEさんはとても仲が良いそうで、2人で食事に行くこともあるのだとか。

また、半井重幸選手がシゲキックスとコラボした時にはXで購入したことを報告しています。

知ろう!スポーツ

弟がコラボしたお菓子を買いに行ってSNSで報告するなんて仲良しで微笑ましいですね

半井重幸の家族構成は?

半井重幸選手の家族構成は、両親と姉が1人の5人です。

半井重幸選手の姉については先ほど紹介したので、ここでは両親について調べてみました。

半井重幸の父親

半井重幸選手の父親は重弥さんという方で、会社員をしているそうです。

どんな会社に勤めているのかは分かりませんでしたが、過去に北海道から引っ越しをしていることから転勤のある仕事ではないでしょうか。

そして父親の趣味はマウンテンバイクで、自転車で山道を走ったりとアクティブに活動しているよう。

そんな父親は教育熱心で、子供達には「ブレイキンをするならやるべきことは人一倍しなければいけない」と教えていました。

そのため、半井兄弟は習い事や宿題が終わってから練習に通う毎日を送っていたそう。

半井重幸選手は教育熱心な父親について、インタビューでこのように語っています。

父は「ブレイキンに興味を持っているけど詳しいわけではなく、とにかく見守っていてくれる感じ。」

幼少期から養われた“世界を見る目” パリ期待の星を支える家族の絆

教育面では厳しい父親だったようですが、ブレイキンをしている子供たちのことは温かく見守っていたようですね。

半井重幸の母親

半井重幸選手の母親は、路美(るみ)さんという方。

半井重幸選手の母親は、10代の頃から自分のお金で海外に出かけるほど行動力がある方なのだそう。

そのため、子供達に対しても小さい頃から海外を見てほしいと考えていたそうです。

アクティブな半井重幸選手の母親ですが、父親と同じく厳しい一面がある様子。

子供達には「やると決めたことは言い訳を許さない」そうで、半井重幸選手にとっては師匠のような存在なのだそう。

ですが、同時に兄弟のように何でも話せる存在でもあるようです。

母親は半井重幸選手よりもブレイクダンスに詳しいそうで、子供達にはブレイキンのアドバイスもしている様子。

若い頃から海外で生活していたお母様なので、人生経験が豊富なのかもしれませんね。

半井重幸のwiki風プロフ

半井重幸選手のプロフィールをwiki風に紹介します。

北海道の札幌で生まれ、大阪で育った半井重幸選手。

北海道での記憶はないとのことなので、生まれてすぐに引っ越しをしたようです。

今の半井重幸選手からは想像できませんが、子供の頃は絵を書くのが好きで友人からサッカーに誘われても教室で絵を書いていたとか。

インドアなタイプだった半井重幸選手ですが、姉のAYANEさんの影響で5歳からダンスを始めました。

その後、姉と共に大阪難波にあるポンテ広場でブレイキンの練習を開始。

ポンテ広場で練習が始まるのは19時からなので、毎日両親が送り迎えをしていました。

練習中も両親はそばで兄弟を見守っていたそう。

当時ポンテ広場でダンスをしていたのは20~30代の大人ばかり。

子供はほとんどいなかったことから、半井兄弟は周囲の大人たちに可愛がられる存在だったようです。

ブレイキンを踊る大人たちの動きを真似し、すぐにできるようになった半井重幸選手。

次々にいろんな技へ挑戦し、できるようになると嬉しかったそうです。

熱心に練習を重ねた半井重幸選手は、11歳のころに世界選手権で優勝。

2018年に行われた世界大会では、銅メダルを獲得しました。

18歳の頃には、2020年に行われた“Red Bull BC One World Final”で優勝。

国内外の大会すべてをあわせると、50回以上は優勝を経験しています。

また、小学生のころにラスベガスのダンスイベントに参加した半井重幸選手。

イベントでは海外の小学生とエキビションマッチを行い、その様子がYouTubeに投稿され世界的なダンサーたちの目に留まりました。

この出来事をキッカケに、海外のイベントなどに行く機会が増えたそうです。

ちなみに、海外に行くときは必ず“ほんだし”と“アミノバイタルプロ”を持参するそう!

ほんだしはいつも水筒に入れて持っていき、口にすると気持ちが落ち着くそうです。

知ろう!スポーツ

2024年に開催されるパリオリンピックでも、ほんだしやアミノバイタルプロが活躍してくれるかもしれませんね

半井重幸選手のパリオリンピックでのパフォーマンスが楽しみです。

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