堀米雄斗のこれまでの経歴は?家族構成や生い立ちwiki風プロフ

スケートボード選手の堀米雄斗さん。

2020年東京オリンピックで金メダルを獲得した経歴の持ち主。

2024年パリオリンピックの出場も決まりました。

そこで今回は

・堀米雄斗のこれまでの経歴は?
・堀米雄斗の家族構成は?
・堀米雄斗の生い立ちやwiki風プロフ

これらについて調べてみました。

目次

堀米雄斗のこれまでの経歴は?

https://twitter.com/yutohorigome/status/1804994464580018358

堀米雄斗さんのこれまでの経歴をまとめました

2014年日本スケートボード協会(AJSA)年間グランドチャンピオン
2015年日本スケートボード協会(AJSA)年間グランドチャンピオン
2016年アメリカ合衆国・ロサンゼルスに活動拠点を移す
2017年ストリート・リーグ準優勝
2018年ストリート・リーグ優勝
2019年X-GAMES
ストリート・リーグ
優勝
優勝
2021年東京オリンピック スケートボード男子ストリート金メダル

堀米雄斗さんの経歴を調べたところ、2014年・2015年と2年連続で日本スケートボード協会(AJSA)年間グランドチャンピオンに!

そして、2016年高校卒業後に本場アメリカのロサンゼルスに活動拠点を移します。

スケートボードの本場で活動しないと注目してもらえない!

と思い、活動拠点を移したのだとか。

2017年、スケートボードの世界最高峰プロツアーでもある「ストリート・リーグ」で準優勝!

2018年には、「ストリート・リーグ」で日本人で初めての優勝を獲得。

そして2021年、東京オリンピックのスケートボード男子ストリートで金メダル獲得!

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世界大会やオリンピックで優勝するなんて、本当にすごい経歴ですよね。

その後も「X-GAMES」や「ストリート・リーグ」など数々の世界大会で優勝した経歴をもつ堀米雄斗さん。

2024年のパリオリンピック日本代表にも選ばれ、現在も順調に経歴を積んでいます。

堀米雄斗の家族構成は?

堀米雄斗さんの家族構成は、父親・母親・弟2人の5人家族です。

父親の堀米亮太さんもスケートボード経験者。

3歳下と4歳下の弟も昔は一緒にスケボーをしていたのだとか。

父親は母親と結婚するときに「家族との時間を優先するために、スケートボードは辞める」と約束していたそう。

しかし我慢できずに子守を言い訳に、こっそりスケボーをしていたのだとか。

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なんと父親は、堀米雄斗さんにスケボーをやらせるという口実で自分が滑りに行っていた!

そんな父親に育てられた堀米雄斗さん。

スケボーに触れる機会も多かったおかげで、自然とスケボーを始めることになったそうですよ。

父親

堀米雄斗さんがスケートボードを始めるきっかけとなった父親の堀米亮太さん。

小さいころからスケボーを教えてくれていたとのこと。

父親と2人で滑っているときは、練習が厳しくて全然楽しくなかった。
父親との練習は「訓練感」があった。

先輩や友達と滑っているときは楽しかったそうで、上手くなって父親から離れて自由に動きたかったのだとか。

小学5年生のころには、父親の持っている技を全て教えてもらいマスターしたそう。

それからは父親から離れ、自由に動くようになりました。

母親

堀米雄斗さんの母親は、初めはスケボーをすることに反対していたのだとか。

しかし、中学生のころに大会で勝ち始めてからは認めてくれるように。

中学2年生のとき、どうしてもアメリカに行きたかった堀米雄斗さん。

母親にお願いしアメリカへ連れて行ってもらったとのこと。

当時は、堀米雄斗さんも母親もアメリカのことを何も知らなかったようで

アメリカで夜にヒッチハイクをして、ホテルまで知らない人の車に乗せてもらった。

と、とても危険なことをしていたみたいですね。

このとき、大会へゲリラ出場したりディズニーランドに行ったりしたそうですよ。

堀米雄斗の生い立ちやwiki風プロフ

堀米雄斗さんのプロフィールをwiki風にまとめました。

名前:堀米雄斗(ほりごめ ゆうと)
国籍:日本
生年月日:1999年1月7日
血液型:AB型
出身地:東京都江戸川区
居住地:アメリカ合衆国(カルフォルニア州ロサンゼルス)
身長:170cm

堀米雄斗さんは、まだ歩けない赤ちゃんのころからスケートボードに触れていたそう。

スケートボーダーだった父親が、家から徒歩10分ほどの小松川公園に堀米雄斗さんを連れて滑りに行っていたのだとか。

小松川公園内には、地元のスケーターが集まるスポットがあったそう。

父親は散歩に連れて行くという名目で、堀米雄斗さんが赤ちゃんのときからその公園へ連れて行っていたのだとか。

父親が滑っている間、放置された堀米雄斗さんはそこに集まっていたスケーターが面倒を見てくれていたそうですよ。

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堀米雄斗さんの赤ちゃんだったころは、地元のスケーターにも育てられたようですね。

6歳でスケボーを始める

堀米雄斗さんが本格的にスケボーを始めたのは、6歳のころです。

初めはスケボーに座ったり、寝転んだりして遊んでいたそう。

次第に公園に集まって練習しているスケーターを見て「かっこいい」と思い、自身もスケートボードを始めます。

初めは上手くいかず、いっぱい転んだ。

歩くよりスケボーで移動した方が楽だと感じ、スケボーが楽しくなっていったそう。

通信制の高校からアメリカへ

堀米雄斗さんは通信制の高校を卒業後、アメリカに活動拠点を移しています。

6歳から始めたスケートボードですが、初めの2年間は大会にも出ずにひたすら練習。

高校はスケボーがメインでできる高校を探したところ、通信制の聖進学院にたどり着きました。

聖進学院の授業は月・水・金の朝10時から16時までだったそう。

堀米雄斗さんはスケボーと学業が両立できる聖進学院に進学。

授業のある日は、スケボーを抱えて授業に出席。
午後はそのまま練習場へ。
授業のない日は朝から一日中滑っていたのだとか。

堀米雄斗さんは勉強が嫌いだったため、高校生活自体は楽しくなかったそうですよ。

高校2年生の夏、アメリカで行われる大会に参加。

この大会のためだけに、アメリカへ行くのはもったいない!
どうせなら、学校を休んで短期留学をしよう!

当時、アメリカに住んでいた鷲見知彦さんに連絡。

鷲見知彦さんはスケーターの映像を専門に撮るカメラマンで、当時は堀米雄斗さんと面識はなかったそう。

「アメリカでスケボーがしたいから、しばらくの間泊めてほしい」と申し出た堀米雄斗さんに対し、快諾してくれたのだとか。

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大会が終わって1か月ほど、住まわせてもらったそうですよ。

アメリカで出会ったスケーターがデッキカンパニーのチームマネージャーに押してくれたこともあり、

高校3年生でデッキカンパニーとスポンサー契約。

このことがきっかけとなり、高校卒業後はアメリカに活動拠点を移しました。

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堀米雄斗さんの行動力が現在までの輝かしい経歴に繋がっているのでしょうね。

今回パリオリンピックでは2大会連続出場となる堀米雄斗さん。

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東京オリンピックに続き、パリオリンピックでも金メダル獲得に期待できそうですね!

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